源平ゆかりの地を巡る関門

源平最後の戦いの舞台になった関門海峡。2022年は源平ブーム再び!?ということで、壇ノ浦合戦ゆかりの地をピックアップ。

平清盛の孫である安徳天皇を祀る赤間神宮は、明治維新までは阿弥陀寺と称していた。有名な「耳なし芳一」の物語の舞台にもなっており、境内には平家一門の塚である七盛塚や、芳一像を安置した芳一像を安置した芳一堂があり、宝物殿には重要文化財に指定されている「長門本平家物語」をはじめとした源平ゆかりの書物や絵図などが多数陳列公開されている。

みもすそ川公園

寿永4年(1185)、源氏軍が大軍を率いて来襲、平家軍はこれを壇ノ浦で迎え撃った。壇ノ浦古戦場を一望できるみもすそ川公園には、『今ぞ知るみもすそ川の御ながれ波の下にもみやこありとは』という二位尼辞世の歌碑、「壇の浦古戦場址」碑など当時を偲ぶ石碑がある。

大歳神社

源義経が壇ノ浦合戦に際して戦勝祈願した神を祀る。義経は有明山に富士の小松を植え、富士浅間の大歳神を祀り弓矢を神前に奉げた。のち、その弓矢を対岸の彦島にある平知盛の軍に射込んだために、驚いた平氏軍が壇之浦におびき出されたとされている。文治2年(1186)、山の麓の漁民がこの戦勝の神を祀り社に鎮めたと言われている。

甲宗八幡宮

貞観2年(860)清和天皇が創建。神功皇后が三韓を征した時に着用したと言われる甲が御神体。50年に1度公開され、次回の公開は2058年。寿永4年(1185)源平の戦い後、範頼、義経兄弟は戦いで荒れた社殿を再建した。
また、「平知盛の墓」と伝えられる石塔があり、昭和28年の大水害の時に筆立山から流れてきたそうだ。

壇ノ浦合戦壁画(和布刈公園第二展望台)

和布刈公園第二展望台

和布刈公園内の第二展望台にある。高さ3m長さ44、の美しい有田焼の壁画。壇ノ浦合戦の模様が再現されており、義経、教経、二位の尼、安徳帝、建礼門院等が描かれている。和布刈神社は仲哀天皇9年(200年)に創建。毎年旧暦元旦に行われる和布刈神事は有名。眼前は急潮渦巻く早鞆の瀬戸。高浜虚子はこの潮流を見“夏潮の今引く平家滅ぶ時も”と詠んだ。句碑は境内にある。

柳の御所(御所神社)

大宰府に落ちた平家は緒方三郎惟義の裏切りにあい、山鹿城(芦屋)を経て、大里に御所を定めた。時に寿永2年(1183)8月、去ったのは同年10月。
境内には都を偲んだ平時忠、経正、忠度の歌碑三基があり、とくに忠度の『都なる九重の内恋しくは柳の御所を立寄りてみよ』は御所の存在を明らかにしている。